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労働あ・ら・かると

今月のテーマ(2013年10月 その3)障がい者と「働く」ということ

「社会工学」という学問からすれば、労働の科学は生産性と合理性に裏付けられなければならない。この両者を達成するためには、日々進化し、複雑化する労働に順応しながら柔軟にこれをこなせる優秀な人間が生産されるべきである、ということになる。そうであれば、身体能力や知的能力が優秀とは言えない(決して劣るわけではない)「仕掛品」的な状態を身体のどこかに持っている、ほとんどの生身の人間にとって、労働とは苦痛を伴う行為、ということになる。さらにその論理で行けば、身体障がい者や知的障がい者、そして精神障がい者などはおよそ労働になじまない、と結論付けても何の不思議もない。現に「優生学」の名のもとに、1930年代からすでに福祉国家の推進を掲げたスウェーデン、ノルウェー、デンマークなどの国々は、障害者発生の根拠の一つとなる劣性遺伝を取り除くための断種や不妊手術が公然と行われていた。有名なのはナチス・ドイツによる障がい者を抹殺した「夜と霧」(T4作戦)である。

戦後、国連(UN)では1948年に世界人権宣言を謳うと同時に、地球上に存在するあらゆる人々の人権及び基本的自由並びに平和、人間の尊厳と価値について数々の憲章を発表してきた。1975年には障害者の権利に関する宣言を発表し、身体障がい者、知的障がい者、そして精神障がい者の権利を保障した。とくに第7条では「障がい者は、経済的および社会的安全、並びに相当の生活水準への権利を有する。障がい者は、その能力に応じて、雇用を確保しおよび維持し、または有益で生産的かつ有償の職業に従事し、および労働組合の加入する権利を有する」と規定している。この宣言に従ってわが国でも障害者基本法が制定され、その計画によって障害者雇用促進法に基づき、雇用の促進が図られている。雇用の促進は順調に進み、民間企業で雇用される障がい者は2011年現在では身体障がい者が28万4428人、知的障がい者は6万8747人、精神障がい者は1万3024人(2018年度から雇用義務の対象となった)である。内訳をみると、500人規模以上の民間会社の雇用率は高いものの、それ以下の、いわゆる中小企業での雇用が遅れている。しかし全体の雇用は対前年度で10%以上の伸びを示し続けており、障がい者雇用の「一般化」が現実のものとなってきている。この動きは今後ますます加速し、職場において障害者が働くことについて嫌悪感や違和感を持つ人が今後さらに淘汰されることになるだろう。

精神障がい者を含む、障がい者の就労は、雇用、労働が有してきた従来の価値の転換を迫るものになる。つまり、労働の生産性、効率性の追求は産業全体の維持と向上に必要な要素であるが、それは要素の一つにすぎない、ということである。雇用を通じで自分の存在感を意識し、社会への参加を自覚し、他者を愛し、そして愛され、自己実現をかなえる、個人としての生活を完結する努力が、あらゆる人々に平等であるべき、としたら、「働く」行為こそが最大のものであろう。個人にとって、睡眠を除けば人生の最も長い時間を、労働に充てているからである。8割の人々が懸命に働き、その余力で生産的には劣るが、仲間とともに汗をかき、励ましあって働く障がい者を含む残りの2割の仲間たちと、ともに職場環境を喜び合う、その柔軟な雇用、労働の在り方が模索されるべきである。わが国がいかなる経済状態にあろうと、基本的にこのような政策がさらに進めば、「働く」という真の価値が変化し、それが世界に伝わるであろう。

【日本大学法学部教授矢野聡】