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拡がる!? 地方大生の意識格差

就職・採用アナリスト 斎藤 幸江

●新年早々、本選考を迎えて
年も明け、25卒の採用選考が徐々に始まっている。インターンシップや説明会など、事前に接点があった学生を対象にした早期選考はもとより、本選考に入る企業も出てきている。
とりわけ早いのがマスコミだ。全国の放送、出版、新聞各社は、1月初めから中旬にかけて、応募を締め切る。冬休みを通じて散々悩んだ挙句、提出ギリギリになって、「応募書類が書けない!」と相談に来る学生も増えている。

●ハードルの高いマスコミ選考
そんな中、出遅れる地方大生が目立つ。「記念受験」ではなく、かなり以前から−学生によっては、大学入学前から−志望していたにもかかわらず、応募書類の質が低い。
マスコミの応募書類は、分量が多いのが特徴だ。志望動機、関心あるイベントやニュース、メディア、面白い・注目しているものと理由や、その紹介文など、多岐にわたり、各項目も100〜600字となっている。
選考側が各欄で求める意図を汲み、書くべき内容を自らの経験から抽出し、文字数を調整しつつ、読み手に刺さる文章を作成することが、求められる。
ところが、読み手目線をまったく意識せず、自分についての一人語りの文章を書く地方学生が、多い。

●自分の熱さだけを語る
たとえば、「あなたの一推しの作品(書籍、映画、アートなど)をひとつ挙げて、魅力と理由を説明してください」という項目があったとしよう。
構成上、その作品の概要を記し、その魅力を、理由を絡めて説明し、最後に表現を工夫しながら推すのが、正攻法だ。
しかし、地方大生および「記念受験組」は、いかにハマっているかという内容に終始してしまう。内容の紹介や魅力の言及がないまま、寝る間を惜しむ、バイト代を全部つぎ込む、周囲に推しまくるなど、自分の熱狂ぶりを語って終わりというものが、少なくない。
記念受験組はさておき、本気で応募している地方学生が、ポイントを知らずに書類で落とされてしまうのは、残念だ。

●読み手の期待を汲む力
こうした傾向は、マスコミに限らず、地方から首都圏等の有名企業を志望する学生にもよくみられる。
たとえば、大手自動車メーカーなら、自分がどんなに車が好きで、どれほどそれに関わりたいのかという思いを延々と語ってしまう。こうした場合、「私を好きなものに関われる仕事に就かせてほしい!」という一方的なアピールに見えてしまい、採用側からは評価されない。
しかし、学生とじっくり話をすると、貢献したいという気持ちはある。伝えていないだけなのだ。
首都圏と違い、周囲に同じ志望の学生も少なく、情報交換や切磋琢磨するチャンスに恵まれない中、彼らは強い不安を抱いている。「高望みではないか?」「私の存在など、視野に入らないのでは?」といった気持ちが強くなりすぎると、無条件に自分を受け入れて欲しいという思いが生まれる。その結果、相手の期待を汲む余裕がなくなり、理解よりも共感を求める文章を書くようになる。冷静に「こういう良さがあるので、貴社で貢献させてください」ではなく、「こんなに貴社に惹かれている私をわかってください」と、主張するようになってしまう。それでは逆効果で、選考通過から遠ざかってしまうのだが、そこに気づく機会を、なかなか持てない。

●地方と首都圏の格差は拡大か
インターネットでは、「エコーチェンバー現象」と言われる、自分と同質、似た傾向の意見や考えを強化し、一般化してしまう状況が指摘されている。大学でも同じようなことが、起きているのではないか。
経済的な理由や受験の結果等で県外に行けなかった学生もいるが、地元志向で進学した者が大多数だ。また、他大との交流機会も少なく、異質な学生から刺激を受ける機会も乏しい。そんな中で、「就職は、首都圏の有名企業へ!」という夢を持ちつつ、周囲の学生の動きを見てガツガツ動くことに躊躇する地方学生が、私の実感では増えている。
以前は、地方から有名企業をめざす学生は、周囲を気にせず、イベントや就活SNSに参加し、知人のネットワークなどを駆使し、「ハンディがある分、頑張らなければ!」とむしろ主体的に動く学生がいた。そういう学生を最近は、あまり見かけない。
先の「自分語りの応募書類」を作成する地方学生も、カウンセリングを受けつつ、1、2社落ちると、何がポイントなのか、人材候補としての自分の何を伝えるべきかを急速に理解し、応募書類のレベルが向上する。マスコミや有名企業の地方学生志望者で、「あと2ヶ月選考が遅かったら、仕上がったのに!」と思う事例は、少なくない。
26卒は、さらに選考が早まる可能性もあり、地方学生と首都圏学生の差は、広がりそうだ。解決の鍵は、採用スケジュールの柔軟化か、地方学生の意識の早期の覚醒(!?)か。いずれにしても難しそうだ。