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労働あ・ら・かると

新型コロナウイルス感染拡大とデマによるトイレットペーパー騒ぎを考える

一般社団法人 日本人材紹介事業協会 相談室長 岸 健二

 この稿が「労働あ・ら・かると」のWebページに掲載される頃には、新型コロナウィルス感染拡大対策が前進し、いい意味での時間稼ぎの間に、検査薬・装置や治療薬、ワクチンの開発が進んでいることを心から期待していますが、「最善を期待し最悪に備える」発想の下で冷静に思いを巡らせば、可能な限りのウィルス蔓延遅延策・感染拡大防止策を進めなければならない状況は変わらないように思います。
 人びと(「国民」ではなく日本に居るすべての「人びと」、また国際社会の視点で地球上のすべての「人びと」です。)それぞれが知恵を絞り、推理力を働かせて、科学的な根拠に立ってできることを一つ一つ着実に実行する必要は変わっていないでしょう。

 新型コロナウィルス感染拡大のニュースが流れるようになると、早朝の散歩の際、薬局前の行列が目につくようになりました。
 2月早々の当初はマスク入手のためと思われ、薬局開店後に見かける姿は「一人2個まで」の小さな包みを持ったものでしたが、今月に入ってからは、中身がトイレットペーパーやティッシュなどの嵩の張る紙製品の大きな荷物を抱えた姿が目につきます。

 筆者が就職した年の秋に、第一次石油ショックが起きました。原油供給の逼迫や価格高騰とは直接関係ないにもかかわらず「紙がなくなる」という噂が流れ、百貨店の法務担当に配属されていた筆者は、朝はトイレットペーパーや洗剤を購入しようと並ぶ顧客の整理に動員され、売切れによってほっとする間もなく、店舗内の客用トイレのペーパー補充作業の応援に駆り出されました。午後からは「総需要抑制」の名の下に通産省に提出する書類の作成に追われたことを思い出します。今で言う「メンバーシップ型雇用」だったので、素直に会社の指示にはなんでも従ったわけですが、それでも「本来業務でない仕事もしなければならない違和感」があったのは「ジョブ型発想」の芽だったのかもしれません。
 当時百貨店の閉店時刻は原則午後6時とされ、開店時間については特に規制は無かったものの、暗黙の了解で10時開店に揃っていましたが、「節電」の必要性からこれを11時開店とし、ネオンサインは消灯するようにという行政指導が行われました。労働集約産業の百貨店では人件費比率が高く、開店時間規制による営業時間の減少、売上高の低下に対処するため、「時間レイオフというのは法的に可能か?」という検討すらしたことがありありと思い出されます。

 現在と異なり、当時携帯電話は開発段階で、筆者は見たこともありませんでした。「紙不足」という「デマ」によって多くの人が購入に走った情報の多くは、当初は口コミレベルの伝播であったところ、そのデマと行列の光景を、取材放送したテレビニュースによるものだったと思います。恐ろしいのは、当初デマだった「紙不足」が、実際の多くの人々の脅迫観念に駆られた購買行動によって、流通在庫混乱を引き起こし、全国にわたって実際に起きてしまったことではないでしょうか。
 現在は、テレビに加えて、情報の伝播ルートには「国民皆情報受発信者」を実現したスマートホンが加わったことは言うまでもありません。
 ドラッグストアや薬屋さんに殺到した人びとは、手にしたスマートホンで「○○には今日午後入荷するらしいから、今並んでいるところが終わったらそちらに向かうわ!」という新時代口コミをしていることが、大きな声であることもあってよく聞こえます。中には「デマだって判っているわよ!でも現実にお店の棚は空っぽなのよ!買い込まなくちゃ!」と叫んでいる声も聞こえました。
 デマであるとわかっていたとしても、現実にトイレットペーパーが買い占められたら我が家の暮らしが困ってしまうのは事実なのですから、あながち狂乱行列に並んでしまうことをそしるわけにもいきません。しかも他の情報より、自分の目の前の棚が空っぽだという自前の視覚情報が勝ることもいたし方ないとも思いますが、でもしかし、そのことが社会の混乱を増大させてしまっていることにも気付いてほしいと思います。

 「雇用」という観点でも、第一次石油ショックの際にも内定取消が起き、今回も既に報道され始めました。止むを得なかったとはいえ、その後の採用中止・抑制は以後長く企業内人材の年齢構成の歪みにつながり、その是正に労力を要したことも思い出されます。また、当時は聞くことのなかった「非正規」という働き方に、様々なしわ寄せが起きているという声も大きく聞こえます。

 「情報」という視点から考えると、暮らしや仕事を1973年第一次石油ショック当時と、新型コロナウィルス感染拡大の2020年を比べて、変っていないことがあるように思います。
 それは、「一つの現象の報道伝播」が、それがデマであるという注釈付きで流れたとしても、また情報の受け手がデマであると理解していたとしても、「漠然とした不安感が覆う社会」においては、個々人が保有している筈の品格や常識を吹き飛ばしてしまい、結果「デマが真実になってしまう」ということです。
 第一次石油ショックの発生直後の12月に、信用金庫の取り付け騒ぎが起きてしまったことも忘れてはいけません。当時の報道によれば、他愛のない女子高生の雑談冗談が、市中の会話を経る内に、伝言ゲームによる誤謬の変容拡大、流言拡散の中で「あの金融機関が倒産するのでは?」というデマに発展してしまい、多くの預金者が、パニックに襲われて払い戻しが集中してしまったということだそうです。

 今のような「不安蔓延の社会情勢」の中では、人びとそれぞれの情報受信時の冷静な理解力と、慎重な情報判断、行動に移る前の多角的な真偽の確認検証作業が、一層必要とされます。

 「ヒト・モノ・カネが回ってはじめて経済が成り立つ」光景を目の当たりにして、当面は辛抱の状況が続くのでしょうが、デマによって流通在庫が平常状態でなくなり、「コロナ不安感」とでも言うべき嫌な圧迫感が社会に蔓延する中、40年以上前からちっとも進歩していない人間の姿に落胆するだけではなく、「次に備える」観点も忘れずにいたいものです。
今回の政府によるマスクの一括買い上げ措置の根拠法「国民生活安定緊急措置法」が、第一次石油ショックを契機に制定されたことをみると、「教訓化と次への準備」の大事さを再認識させられます。
 冷静に今回の「騒動」を教訓化し、次に起きてしまうだろう「パニック」をより小さくするための方策を、雇用・製造・金融・情報の各見地から今から考え始めておくことも大事です。
 今のこの街の風景、職場の光景を記憶と記録にきちんと留め、後世への教訓化と改善に役立てることを忘れずに、医療・公衆衛生専門家の英知を集めた科学的見解と、人々の暮らす社会を見据えた政治家の適切な決断を期待しつつ、今しばらくの間テレワークを利用しながらのコロナ蟄居を過ごすことにしたいと思います。なかなかむずかしいですが。

(注:この記事は、岸健二個人の責任にて執筆したものであり、人材協を代表した意見でも、公式見解でもありません。)