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労働あ・ら・かると

「罪を憎んで人を憎まない」懲戒処分の仕方

                  一般社団法人 日本人材紹介事業協会 相談室長 岸 健二

 先月のこの欄の出だしのところで、JILPT(労働政策研究・研修機構)統括研究員の濱口桂一郎さんが著した書籍「日本の雇用終了」と、「日本の雇用紛争」に言及したところ、氏のブログ「hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)」でこの「労働あ・ら・かると」を取り上げてくださいました。
 氏とは、何年も前に東京大学社会科学研究所のシンポジウム傍聴後の立食パーティーでお会いしてご挨拶し、一言二言言葉を交わしただけなのに恐縮光栄なことと思っております。そのこともあって普段は「雇用の始まり」のところに身を置いている筆者ですが、若いころ経験した「懲戒による雇用終了」の場面を想い起こして、今月は筆を取りたいと思います。
 
 先月ご紹介した事例のもう5年ほど前の話で、筆者はまだ人事労務担当ではなく、文書法務担当として社内懲戒案件に関わっておりましたので、今から45年近く前の話です。
 当時の勤務先の筆者が担当する職域範囲の労働者数は、一般職員(正社員・含管理職)約3000人、パート他契約社員など約1500人ほどだったと記憶していますが、結果自己都合退職や諭旨解職となった事案を含め、懲戒案件とするか検討するような不祥事、非違行為が指摘される事例は毎年数件ありました。
 まだ新人だった筆者が、最初に稟議手続きの過程で扱った懲戒検討案件は、何回かにわたった累計十数万円の業務上横領案件でした。筆者の初任基本給は5万3000円、入社間もなく春闘の結果としてこれが6万5000円になったとおぼろげに記憶していますから、現在の感覚では60万円位の横領規模となるでしょうか。
 懲戒検討過程で、当該社員の直属上司は、自分の監督責任も問われたことからか、相当感情的に厳罰にすべきとの主張をしていましたが、筆者は自分の入社前からの懲戒事案記録を通読して、「部下の処分が重ければ重いほど、直属上司、そのまた上の管理職の処分も重くなるのに、なぜこの人は部下の厳罰を主張するのだろうか?自分の顔に泥を塗られたことで血が頭に上ってしまっているのだろうか?」と思ったことが忘れられません。
 後日別の似たような件で「部下は悪くありません。私がきちんと監督していれば、このように魔が差すことはなかったのです。」と罪一等を減じてほしいと号泣嘆願した管理職と出会ったとき、この最初の件の上司と比べてなんと人間らしいのだろうと感じたことも思い出します。似たような場面は、ずっと後、19年程前の有名証券会社廃業時の社長の記者会見をニュ―ス報道でご覧になったことがある人もいらっしゃると思います。
 そして、私にとって忘れられない出来事は、その最初の懲戒案件の決済を求める稟議書を、副社長に押印をしてもらうために、人事部長と一緒に持参した時のことです。
 その副社長はいつも苦虫を噛みつぶしたような頑固そうな顔をしている方で、筆者の入社試験の際、最終役員面接のときに真ん中に座っていて、数十分(に感じられた)選考の間、無言で他の面接官の質問と筆者の答をじろりじろりと眼球だけを動かして聞いていたので、とても印象的な方でした。
 稟議書と添付書類(懲戒当事者の陳述書や、社内保安担当の調査報告書、懲戒委員会議事録など)をじっと読んだ上で人事部長に発した怖い口調の問いかけは、「経緯は分かったが再発防止策はどうなっているんだ?」ということでした。人事部長は「本件を社内に告示して、悪いことをすればクビになることを再度徹底します。」と答えたのですが、副社長の反応は無く、しばらくの静寂の後いきなり筆者に向かって「おい。そこの若いの。君はどう思う。」と言われました。
 私は「再発防止ということでしたら、管理職教育のカリキュラムの中に、今回の件をはじめとしたいくつかの案件を匿名化して例示した『不祥事を未然に防ぐためには』という項目を追加したらよいと思います。」と答えたのですが、また静寂が流れ、「それも良い。でも足りない。」とにらみつけられました。
 その後人事部長に発せられた指示は、私にはまったく予想外でした。「本人の再就職先を世話してやれ。もちろん本人と一緒に紹介先に行って、この経緯はつつみ隠さず話した上で、本人の反省の弁も本人から言わせて、納得してくれる再就職先を探せ。」というものです。
 そして、さらに、相変わらず取っつき難い表情の副社長は、「君は『罪を憎んで人を憎まず』という言葉を知っているだろう。もし我が社から放り出して事足れりとするなら、それでは全く駄目だ。リンチだ。」と言うのです。「それで終わったら、もしかしたら本人は我が社を逆恨みするかもしれない。せっかく就職した我が社を辞めさせられるということで、本人に対する罰・制裁としては十分ではないか。警察検察でも裁判所でもない我々が、魔が差して罪を犯した人間をどこまで罰することができるのか考えてみなさい。」と、続けました。「だったら我々ができることは、同じような人間を社内に作り出さないことと、本人の次の人生をできる限り支援することだろう。え?君。」と、ギロリと私を見るのです。さらに続けて、「しかし次の就職先も、こういったことがあったことを隠していては愉快ではあるまい。本人のためにもこの経緯を全部理解して飲み込んでくれるところを探すことが重要だ。」と言います。
 当時の法律には現在の職業安定法第5条の4(求職者の個人情報の取扱い)のようなルールは明記されていなかったはずですが、「本人の口から説明することが大事で、さらにその内容が嘘ではないと、人事部長の君が隣にいる場面が大事だ。勘当息子だと思って面倒見なさい。」と、今度は人事部長に指示をしました。
 「もし興信所が来て退社理由を聞かれても、応える必要はない。『いつからいつまで在籍していた。』ということだけ言いなさい。」という指示も加わりました。
 
 当時はもちろん「メンバーシップ型雇用」がほとんどで、一部技能職やタイピスト等の職種限定採用もありましたが、労務管理はなんとも家族主義だったので、「勘当」などという言葉が出てきたのでしょう。戦中派の副社長の頭の中には「懲戒=家族の縁を切る」という発想がこびり付いていたのかもしれません。しかし、その発想は「私企業のできることの限界」という自律や、「敵をなるべく作らないことが経営にとって大事」という哲学という観点では正しかったのだろうと思い起こします。
 
 一方で頭書の書籍「日本の雇用終了」や「日本の雇用紛争」を読んだり、様々なご相談などを聞くにつけ、昨今は「オレ的にはクビなんっすよね。」といった雇用ルールを守らない(知らない)解雇が横行している側面が広がっているようにも思います。
 過日、東京都労働委員会による不当労働行為の審尋を一部傍聴する機会を得ました。11月20日の東京新聞でも報道されていますが、そこでは会社の制度として「支店長が社員を競りにかけて落札」するという証言がありました。プロ野球のドラフトのような人事システムと言えば聞こえがいいですが、そもそも収入レベルも雇用の考え方もプロ野球と同列に論じられるものではありません。「人を競り落とす」と平気で口にする方には、もう一度「労働は商品ではない」というILOのフィラデルフィア宣言を、よく読んでいただきたいものです。
 この会社は懲戒解雇した(後日すぐ撤回)社員について、顔写真付きの「罪状」と書いたものを全社各支店に掲示し(解雇撤回後も掲示は続いたそうです)ています。最終的には労働委員会の決定や訴訟の結果を見なければなんとも言えませんが、「年収1000万も可」といった求人広告で人材を集めようとする会社が多すぎるような気がします。
 若者雇用促進法によって、新卒求人については、ハローワークや民間人材紹介会社が「ブラック企業からの求人を不受理」できる仕組みが今年3月から施行されました。一方、大学3年生の学生を対象とした次の採用企画も、各社始めている時期となりました。
 まだまだ緒についたばかりの制度ですし、中途採用にも同様な運用が為されるのはこれからですが、就職転職をされる人材の方には、「人材をモノ扱いする」「人材をコストとしか見ない」企業をしっかり見抜いて就職活動をされるよう期待したいです。また、求人企業には、若者雇用促進法によって幅広い情報提供が努力義務とされた「募集・採用に関する状況」「職業能力の開発・向上に関する状況」「企業における雇用管理に関する状況」について、過去3年間の新卒採用者数・離職者数や入社後の研修内容、時間外労働や有給休暇取得状況などを率直に公開して、真摯な態度で採用を行ってほしいものです。 以上

注:この記事は、岸健二個人の責任にて執筆したものであり、人材協を代表した意見でも、公式見解でもありません。