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2016版の「経営労働政策特別委員会報告」の内容と感想

                                          MMC総研 代表 小柳勝二郎

 今年の年明けは、世界の政治・経済の混乱を反映して先行き不透明感が強まり、株価が乱高下するなど予断を許さない状況にあります。
 この時期になると例年今年の賃上げはどうなるのか、労使にとって忙しい時期を迎えます。最近は政府の思いも絡んだというより、政府主導の賃金交渉とマスコミに報道されるような状況にあります。政府は経済の持続的成長を実現していくために企業の収益を「賃上げ→個人消費の拡大→接投資の拡大」につなげていきたいとしています。そのため、政府は今年賃上げと共に設備投資の拡大を経済界に求め、経済界も政府の意向を踏まえて対応したい旨の考え方を示しています。また、政府は成長だけではなく正規・非正規の待遇是正ということで同一労働、同一賃金や最低賃金の引き上げにも言及しています。

 このような環境の中で、経団連の「経労委報告」がどのような内容で発表されているかを見ることにします。経営側のスタンスを一言で言うと賃金交渉では基本的には政府の考え方を踏まえて各企業は自社の経営内容を十分検討して昨年以上の賃上げを期待していますが、経営環境が昨年よりきびしく、不透明であるため、各企業が賃上げだけでなく、年収増を念頭に置いて多様な対応がしやすいように慎重に書かれているように思います。

 報告書の構成は3章立てになっております。第3章の2016春季労使交渉・協議に対する経営側の基本的姿勢は例年通りですが、経済・経営の動向についての記述が少し少ないとか、賃金決定の考え方は昨年の報告書と似ていますが、経営の不確実性が高まったことを反映してか賃金引き上げ(ベア)重視から年収増への考え方や対応の仕方が強まった感じがします。第1章では「多様な人材の活躍」等、第2章は「雇用・労働における政策課題」と当面する経営諸制度の実務面における経営側の考え方・あり方を提示したように思います。これらの点もこれからの経営や働く人にとって大変重要ですが、経営者向けにしては書き方に細かすぎて疑問符が付きます。また、経済・経営の先行きを述べることは経営環境が不透明になったことや賃金交渉の基本的な考え方が毎年大きく変わるわけではなく、そのうえ政府の思いを踏まえて書こうとすると、構成と内容に新味が出せないのは仕方がないというべきか。

 報告書では、今後の「経済の好循環実現に向けた重要政策課題」としてつぎの7点あげています。①震災復興の加速と新しい東北の実現(魅力的な投資環境の整備と地域産業の自立とサステナブルなまちづくりへの支援②総合的な経済対策の策定・実行(企業の税負担の見直し、規制・制度の改革等)③持続的成長の基盤となるエネルギー・環境政策の推進(エネルギーの安定供給と経済性に確保等)④科学技術イノベーション政策の推進(IoTや人工知能・ロボットを活用した基幹産業の育成・強化、ベンチャー企業の創出・育成等)⑤2020年度のPB黒字化達成に向けた「経済・財政再生計画」の着実な遂行⑥地方創生の推進⑦アジア、米国、欧州等との一層の関係強化

 これらの事項は大変重要な点ですが、常に言われていることで政府も取り組んでいます。グローバル経営の進展や人口減少などで日本の経営システムや経営者あり方、雇用・賃金・処遇等いろいろな問題があります。経営環境の変化と経営のあり方をトータルにして今後の経営ビジョンを示す時期にあるように感じます。

 さて、多くの人の関心事項である本報告書の第3章の労使交渉・協議に対する経営側の基本姿勢の内容について見ることにします。
 すでに連合は「2016春季生活闘争方針」ですべての働く者の「賃金の底上げと・底支え」と「格差是正」を通じて、「デフレからの脱却」と「経済の好循環実現」を目指すとして、2%程度を基準に月例賃金の引き上げ(事実上のベースアップ)と賃金カーブ維持分(定期上昇分)2%と併せて4%程度の賃金引き上げを求めています。
経労委報告の第3章は上記要求に対する経営側の基本姿勢を述べたものです。主な点を紹介することにします。

 ①経営や賃金問題を考えるうえで重要な点として生産性の問題があります。これについては「労働生産性の現状と向上への対応」の項目で、「労働生産性は近年の景気回復に伴い上昇傾向にあり、2014年度には従業員一人あたりの労働生産性は全産業平均で(金融・保険業を除く)では705万円となり、12ぶりの高水準を記録した」としています。製造業は、818万円、サービス業や卸・小売業等の非製造業は671万円と労働生産性は総じて伸び悩んでいる。国際的にみても我が国の非製造業の時間当たり労働生産性の低さが目立つとしています。付加価値総額に占めるシェアの高い「卸・小売り」の生産性低迷は経済の成長を押し下げる要因となる可能性があり、その向上を目指した取り組みが急務である」としています。「サービス業は従業員数が20年間で1.8倍(約502万人増加)したが建物・機械などの有形固定資産の減少に伴って労働装備率が急減し、労働生産性低迷の一因になっている。

 最近は積極的な設備投資の動きがみられるが、今後も持続的な成長・発展に向けてICTをはじめとする設備投資の拡大と効率的な利活用が望まれるとしています。
生産性の向上に当たっては優良事例を参考にして改善するとか、労使のコミュニケーションを強化することが大切」としています。
 この視点は、今後の我が国経済や国民生活の活性化にとって大事な点です。ビジネスのシステムを抜本的に見直すなどのイノベーションや業務の効率化等で生産性を高めていくことが強く求められています

 ②総額人件費の適切な管理として3点ほど指摘しています。
 1点は、総額人件費についての対応です。総額人件費とは、賃金・賞与・退職金・法定内外福利費等企業が従業員を雇用するために支出しているすべての費用を指します。総額人件費の原資は、企業が生み出す付加価値からもたらされるもので、企業全体でみると付加価値の約7割を占め最も高くなっています。賃上げなどの人件費の水準決定にあたっては自社の付加価値の現状と今後の見通しを十分踏まえる必要があるとしています。

 2点は、総額人件費の管理に当たっては、所定内給与額の変動の影響を十分に考慮することをあげています。それは、多くの企業では、所定外給与、賞与・一時金、社会保険料を算出する際、所定内給与を算定基礎としているため、所定内給与額のアップは総額人件費に大きく跳ね返ることになります。よく使われる数字として、所定内給与を100とすると総額人件費は167.5まで高まると指摘しています。所定内給与の引き上げを検討する際には、その増額分だけではなく、総額人件費の増加分(はね返り分)と長期にわたる影響についても考慮しなければならないとしています。

 3点は、法定福利費(社会保険料負担)増大の影響です。近年、法定福利費は増加を続けています。厚生年金保険の料率引き上げの改定や健康保険組合の平均保険料率も高齢者医療への拠出金負担の高まりなどを背景に年々上昇しています。社会保険料負担は、保険料の引き上げだけでなく、保険料が課される報酬範囲などの拡大によっても増大するとしています。企業がコントロールできない社会保険料負担の高まりにより、付加価値と無関係に総額人件費が増加していることに留意する必要があるとしています。

 社会保険料は労使折半で負担するため、保険料の増加は、従業員の手取り賃金額にも大きな影響を与えるとしています。企業が賃上げをしたにもかかわらず、個人消費が期待したほど伸びていない。その要因の一つとして現役世代の給与のうち、相当程度が社会保険料負担の増大によって相殺され、手取り賃金が伸び悩んでいることを例示で示して説明しています。社会保険料負担のさらなる増大は、社会保障制度の持続性に対する信頼低下が国民の将来不安を招いて個人消費の下押し圧力となり経済の好循環実現の支障となるとしています。賃金の引き上げを個人消費へとつなげ、経済の好循環を実現するためにも政府には引き続き、社会保障の重点化・効率化など制度改革の断行を強く求めています。

 社会保険料の問題は、報告書が指摘している通り、じりじり高まっています。企業の経営努力では対応できず、この負担が企業経営や働く人の生活、国の経済運営に大きく影響を与えますので、国としての早急なる対応が強く求められます。

 2016年の労使交渉・協議への経営側の基本的スタンスとしては、「賃金決定にあたっては物価・労働需給・業績等いろいろな要素を検討しつつ適切な総額人件費管理のもと自社の支払い能力に基づき、労使による真摯な交渉・協議を経て企業が決定することが原則である」としています。その基本的考えを踏まえて、今年の交渉では、重視すべき考慮要素としてデフレからの脱却と持続的な経済成長の実現に向け、経済の好循環を回すという社会的要請がある。力強い経済に実現に向けた名目GDP3%成長への道筋も視野に置きながら、各社の収益に見合った積極的な対応を図ることが求められるとし、具体的には、収益が拡大した企業において、設備投資や研究開発投資、雇用の拡大などとあわせ2015年を上回る「年収ベースの賃金引き上げ」について前向きで踏み込んだ検討が望まれる」と経営側の基本的考えを述べつつ政府の意向にも配慮した内容になっています。

 その考え方を踏まえて、「年収ベースの賃金引き上げ」の方法として、定昇と賃上げのほかに賞与の増額や必要な手当ての増額、能力開発のための研修の増加、従業員が望む福利厚生の充実、子育て世代の支援、非正規従業員の賃金(時給)の引き上げや正規従業員化等考えられるとしています。
 結論としては、「企業のおかれている経営環境や業績の状況は各社各様であるため。今年の考慮要素を踏まえながらさまざまな賃金引き上げの方策を検討する必要がある」としています