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意味が変わってしまった「スカウト」という言葉

一般社団法人 日本人材紹介事業協会 相談室長 岸 健二

 このコラムの中で過去何度か、職業紹介業ビジネスモデルの「スカウト型紹介業」について触れ、説明してきました。
 しかし最近、人材紹介業に対する求職者の方からのクレイムの中に「スカウトの声をかけておいて無責任ではないか。」という指摘があったり、また居酒屋で聞こえてくる会話の中に「Webに自分のプロフィールを掲げておいたらスカウトの声がかかって来てさ。」といういささか自慢げな声が聞こえることがあり、最近の「スカウト」の意味は、良くも悪くも随分変わってしまったのではないかと感じています。

 職業紹介をめぐる最高裁判例の「東京エグゼクティブ・サーチ事件(平成6年4月22日 最高裁判所第二小法廷判決/事件番号平成3(オ)1943)」http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail6?id=18986においては、「スカウト」について「求人者に紹介するために求職者を探索し、求人者に就職するよう求職者に勧奨するいわゆるスカウト行為」と記し、「(求人求職意思が明確化顕在化した:筆者解釈付記)求人者と求職者との間に雇用関係を成立させるために両者を引き合わせる行為」とは一旦別行為のように述べつつ、双方とも「職業安定法にいう職業紹介におけるあつ旋」であると、整理しています。
 少なくとも20世紀において「スカウト型人材紹介」というのは、求人企業の依頼を受け、その必要とする能力適性がありそうな人材を、その転職意思の有無や程度に関係なく広く世間から探し出してインタビューし、そのレポートを基に依頼企業に報告紹介するビジネスモデルでした。上述の東京エグゼクティブ・サーチ事件判決の行間には、求人者の病院からの依頼を受け、その条件に合う医師を探し出して紹介したというビジネスの流れを垣間見ることができます。
 「スカウト」という言葉で連想するのは、このような人材スカウトだけではなく、もっと歴史のある「ボーイスカウト」や「野球のスカウト」もあると思います。
辞書を引くと「scout」は軍事用語での「哨戒、偵察、斥候」が原義とされています。それが転じて「野球のスカウト」「ボーイスカウト、ガールスカウト」となり、「人材スカウト」は「優秀な人材の勧誘、引き抜き。もしくはそれを行う人。」の意で使われるようになったのでしょう。
 「哨戒、偵察をする斥候」という言葉は、人材紹介コンサルタントという職務と照合して考察すると当意(位)即妙に聞こえます。「職業紹介」というのは「あっせん」行為であって、当然ですが派遣業と異なって人材紹介会社自身がその人材を雇用するわけではなく、また紹介担当者自身が求人企業に就職するわけでもなく、ひたすら対象人材に接近(哨戒)し、よく観察(偵察)して求人企業(本隊)にスカウト(斥候)として正確に報告することをもって、その業務(任務)とすることが本分だからです。
 「サーチ型」という表現も、「サーチライト=探照灯」という言葉を思い浮かべれば、暗い中、探す対象に明かりを当て浮き彫りにするイメージが沸いてきます。
 ビジネスパ-スンの先輩から「スカウトの声がかかるようになって一人前。」という教育を受けた方もいらっしゃるでしょう。

 だがしかし、昨今のWebサイトを利用した職業紹介ビジネスや、登録者に該当する求人情報を提供する(だけ)と称する求人情報提供サイトには、名は伏せるものの、本人の転職希望要件や属性を登録掲示し、これを人材紹介会社が閲覧して登録を勧誘する行為を「スカウトメールを打つ/受ける」と表現することが広がっています。
 古参の人材スカウトからすれば、「既にはっきりとした転職意思があり、その条件を自分で表明している人材に声をかけること」は、「一般登録型の紹介ビジネスフローのマッチングの1ステップ」であり、「スカウト」とは程遠いと言うのも頷けます。
 また古参スカウトは、「どんなに優秀な人材でも、自分の職務経歴と能力適性を客観的に評価することは難しく、そこにこそ自分たちの‘充分な傾聴’に裏付けられた‘助言行為’や‘発想の整理への助力’の価値を発揮すべき場面があるのだ」と言います。

 「モノの売買」であれば、需要側と供給側それぞれの情報量が多いほうが、場の設定者としてはマッチング数が大きくなるので、ビジネスとしてそれを追求する行動となるのでしょうが、「職業紹介」「人材紹介」は人身売買ではありません。情報量が多く、応募者数、応募企業数を多くすることは、それだけ「がっかりする数」を増やすことにつながっていることに目を向けるべきです。
 「スカウトされる」という言葉の気持良さに惑わされてはいけません。

 求人側の状況も企業の年齢によって、また経済環境によって変化するものですし、人材側も、環境と合えば能力を伸ばして熟練するものです。だからこそ、双方の出会いの際に照合すべき、人材の能力適正要素、求人企業の事業伸長期待性など、瞬間的に聞こえる「即戦力」という言葉に惑わされることのない、「一定程度の予測を含めた、求人求職のマッチング」をするための「求人情報・求職者情報」の正確な把握とシミュレーションをした上での助言が、本来一定期間以上の信頼関係を前提とした雇用関係の成立をあっせんするには、欠かせない付加価値なのではないでしょうか。

 本来その「助言という付加価値」は、「スカウト/サーチ型」「一般登録型」「再就職支援型」などのどのような人材紹介ビジネスモデルにも必要なものだった筈ですが、本来じっくりとした「偵察(=冷静な観察、客観的評価分析)」を伴うことが大切な筈の「職業紹介業務」の大切なポイントが、「スカウトメールの多発」という形でその意味を形骸化されているのでは?という危機感をぬぐえないのです。
 顕在化した転職就職希望者の主観的な自己分析、主観的職務経歴、主観的な希望を記述したデータに声をかけるのは、単なる登録誘引行為でしかなく、ベテランの洞察力あふれた人材スカウトの方からすれば、「そんなものはスカウトでもなんでもなく、単なる求人求職のマッチングではないか」という声が聞こえてきます。
 その結果なされるビジネスモデルは、「モノ同様の売った買った現物限り」売買でしかなく、人生を歩いている人材にも、ビジネスの将来を一緒に築きたい企業側にも、落とし穴が待っていることが多いのではと危惧します。

 人材をモノ同様に見ているとしか思えない「中古車だろうが中古住宅だろうが結婚式場だろうが『あっせん/マッチング』はみな同じ。」という考えのビジネスに与するつもりは全くありませんが、しかし一方で「老練な人材スカウト」の個人プレイにのみ頼った「スカウト型人材紹介」が、21世紀の今通用するのだろうか?という気持ちも払拭できません。
 1999~2004年に行われた職業安定法の大改正により、民間人材紹介業の守備範囲は大きく広がり、社会的責任もより重くなりました。またこの職安法改正に続いて施行された個人情報保護法の存在も、スカウト型人材紹介業にとって仕事のやりにくさを増していると聞きます。でも今でも多くの学術論文や特許の申請に目を通して、有能な技術者の方を探索し、様々な業界専門紙やWeb上の記事を丁寧に読んで「優秀な人材に職業人生の選択肢情報を提供する。」、そして同時に、人材の主観と対比した形で「客観的な助言」の提供をすることを目指している人材スカウトの方々が、活躍されているのも事実です。その個人プレイを共有化し、コンプライアンスを重視しつつ後輩の育成に力を注がれることを願って止みません。
以上

注:この記事は、岸健二個人の責任にて執筆したものであり、人材協を代表した意見でも、公式見解でもありません。)