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瀬戸大橋のたもとで「持続可能な雇用」の創出を想う

一般社団法人 日本人材紹介事業協会 相談室長 岸 健二

 過日機会を得て、約半世紀ぶりに徳島県、香川県周辺を訪問いたしました。
 観光旅行気分で、徳島では一年中やっている「阿波踊りの練習」を拝見したり、渦潮観光船に乗って鳴門の渦潮を観光したり、更には香川に足を伸ばして讃岐うどんを賞味することが出来たのですが、特に印象に残ったのがオープンして16年余経つ「大塚国際美術館」とその10年前に建設された「瀬戸大橋タワー」でした。

 足を運んだことのある方も多いかとは思いますが、「大塚国際美術」は鳴門市にある陶板複製画を中心とした博物館で、世界中の名画を、それぞれ許可を取って陶板焼きとして実物大に複製し展示してあります。国立新美術館に次ぐ規模の日本で二番目の大きさの美術館で、展示絵画数は1000点を超え、年間20数万人が来場すると公表されています。

 私が訪れた時には、かつて日本にあり戦災で焼失したゴッホの「幻のヒマワリ」が当時の写真等を元に複製され、展示されていましたが、以前ヨーロッパを旅した際に観賞した名画の数々をもう一度じっくり見ることができて、感無量でした。初代館長は、若い世代に向けて「実際には大学生の時に此処の絵を鑑賞していただいて、将来新婚旅行先の海外で実物の絵を見ていただければ我々は幸いと思っております。」というメッセージを残していらっしゃいますが、高齢世代にとっては逆に、海外にでかけることがしんどくなっても、PC画面や図録とは異なる、実物大での懐古観賞ができる点が素晴らしいと思います。

 美術館内では多くの学芸員の方がせわしく働いていらっしゃり、資格をとってもそう簡単に就職先がみつからないという「学芸員の雇用」を相当数生んでいる様子や、他にもレストランや売店、案内、更にはここへの観光に従事するガイドさんの雇用まで考えると、この美術館がある限りこれらの雇用は「持続的に」維持されるのだろうと思います。

 この美術館は「私立」で、製薬グループの創業75周年事業として開設されて16年ということですが、これだけの社会還元を実現する姿勢は、歴史で習ったイタリアルネサンス期に多くの芸術家を育成支援した「メディチ家」(そういえば彼らも薬関係事業がルーツで財をなし、「メディカル」の語源になったという説をイタリアに行った時に聞きました)にもなぞらえられることではないかと思いました。

 一方で、3ルートある本州四国連絡橋のひとつ、3つの内最初に出来上がった「児島・坂出ルート(瀬戸大橋)」にも足を運びました。開通当時(1988年)に開催された「瀬戸大橋博覧会」の会場だった跡地に立っていて、今でも営業している「瀬戸大橋タワー」に立ち寄り、「高さ108m、360度の景色を眺められ、大橋とほぼ同じ高さまで登って観覧できる回転式展望塔」に搭乗してみました。眼下に広がる景色はすばらしいものでしたが、隣接する記念館が外壁工事中だったためか、あるいは訪問日が平日の月曜日だったせいもあるのか、私達以外にはほとんど顧客が見当たらず、駐車場にも自動車がほとんど無く、率直に申し上げて「これで採算が合うのだろうか?」という印象を拭えませんでした。

 一階の乗り口のところにそこそこ広い売店があったので、お店の方に聞いてみると、開業当初の時期、ピークは40人も販売員を雇っていらっしゃったのが、現在はご夫婦とお子さんの3人で切り盛りしていらっしゃるとの事でした。ここでは雇用は「継続可能」ではなかったと思わざるを得ません。

 くしくも東京都知事は、2020年東京オリンピック・パラリンピックのために新設予定の競技会場や設備について、そのうち3箇所の建設を中止し、建設資材の高騰などで膨らんでしまう施設整備費を約2000億円圧縮することを表明し、IOC(国際オリンピック委員会)もこれを了承したと報道されています。

 巷では「オリンピックに向けての建設人材不足」が声高に叫ばれていますが、大きなイベントに関連して発生する人材需要は、得てして終了後は収縮してしまうのはイベントというものの宿命といわざるをえません。経費を圧縮し、しかしオリンピック・パラリンピックの東京開催を成功させようと努力すると同時に、イベントの準備段階で必要な人材需要、イベント期間中の人材確保、イベント終了後も持続的な雇用を生み出すことを意識した施設作り、終了後のイベント従事人材の円滑な労働移動まで充分配慮意識した、大会運営を企画準備していただきたいものだと想いを巡らせました。

以上

注:この記事は、岸健二個人の責任にて執筆したものであり、人材協を代表した意見でも、公式見解でもありません。)