労働あ・ら・かると
「予防歯科」と「予防労務」
社会保険労務士 川越雄一
〇最近は「予防歯科」という言葉をよく聞きます。予防歯科とは、ムシ歯などになってからの治療ではなく、なる前の予防を大切にすることです。すでに欧米では、歯科医院などで定期健診を受けることが習慣になり、日頃から歯科医や歯科衛生士と一緒に歯とお口の健康づくりを実践しているそうです。一方、従業員との労使関係など労務においても、歯と同じで予防の重要性が増しています。
1.歯と労務の共通点
〇歯というのは体の入口であり、とても重要な部位ですが、日頃はあって当たり前の感があります。労使関係など労務についても同じようなことが言えます。
●大切だけど後回しにされやすい
〇人は生きるために食べることが必要ですが、これも健康な歯があってのことです。歯の治療でたまに片方の歯が使えないだけでもそれを痛感します。労務においても、従業員が急に辞めたり募集しても集まらないと、その大切さが分かります。場合によっては事業の存亡にかかわります。しかし、大切な歯や労務ですが、身体でも会社経営でも、何となく後回しにされやすいものです。
●悪くなるまで気付かない
〇多くの人は「痛いっ」となってから歯医者さんに行くのではないでしょうか。場合によってはグラグラしてきて、ようやく歯の異変に気付くこともあります。労務においても、従業員同士の陰口や新入社員の早期離職が多くなったり、募集しても応募がさっぱりなかったりした段階で「最近何かおかしいな」となります。歯も労務も初期には症状が表れにくいのです。
●思いがけない出費をともなう
〇歯もトコトン悪くなると思いがけない出費となります。また、歯の治療は保険診療と自費診療に分かれますが、見た目や機能の説明を聞けば聞くほど後者を選択したくなります。労務においても、意識しなかった未払い残業代、パワハラの損害賠償や解雇の解決金など、思いがけない多額の出費をともなうこともあります。そもそも想定していないお金なので高く感じます。
2.予防労務を妨げる3つの要因
〇歯でいう予防歯科と同じく、労務においてもトラブルを事前に防ぐ予防労務が重要なのですが、それを妨げる共通した3つの要因が立ちはだかります。
●今まで何もなかった
〇たとえ世間に労務問題で苦しむ会社があったとしても、自社で今まで何もなければ関心も薄くなります。正確に言えば、今まで何かあっても気付いていなかったのかもしれません。いずれにしても、今まで何もなければ予防という発想がありません。歯医者さんに聞いたところによれば、歯周病はまさにこの状態であり、ある日突然、歯がなくなることもあるそうです。
●他社もやっていない
〇「赤信号 みんなで渡れば 怖くない」的な発想かもしれませんが、他社も法律どおりやっていなければ変な安心感があります。特に同業者だとそうなりやすくなります。例えば「残業時間1日30分未満は残業代を払っていない」を合法的かのように解釈し、本来の支払額が未払いとなります。そもそも違法であるとの認識が無いので予防という発想もありません。
●過去の成功体験
〇過去の成功体験は段々と美化されます。例えば「昔の従業員は残業代など気にせず朝から晩まで一所懸命働いてくれた」などという経営者は多いと思います。しかし、たまたま問題にならなかっただけで、多くの一般従業員はそうではありません。自分と同じ感覚で、従業員にそのようなことを求めようとすれば、今の時代はキケンです。
3.予防労務における3つのポイント
〇予防においては歯も労務も同じようなものです。日頃のケアとして法律の理解、定期的なチェック、そして、早期発見・早期治療(対応)がポイントです。
●日頃から法律を正しく理解する
〇予防労務には法律の正しい理解が不可欠です。法律というのは、過去に起きたトラブルを基に、それを防ぐための方策が内容になっています。もちろん、労働関係の法律は労働者保護を基本にしていますから規制も多く、経営者にしてみれば「少しは経営者の立場も考えてよ」と言いたいところもありますが、ここは割り切るしかありません。
●定期的にチェックを受ける
〇労務も定期的なチェックは不可欠です。特に、労務を経営者やその家族が行っている場合は注意が必要です。賃金計算や保険の手続きが間違えていても従業員からはなかなか面と向かっては指摘しにくいからです。そのため、社労士などの第三者に毎月賃金台帳をチェックしてもらうだけでも多くのことが分かります。労務の簡易健康診断みたいなものです。
●問題の早期発見・早期対応
〇労務は人である従業員を相手にしていますので、予防を励行していたとしても、問題が起きることがあります。その際は、早期発見・早期対応が原則です。賃金台帳などのチェックにより、残業代の未払いなどの問題が発見されたら早期対応です。早期であれば対応の手間もお金も少なくて済みます。例えば、労働基準監督署等の調査もプラスに捉えれば、問題の早期発見の好機ともいえます。
〇歯も労務も症状が出てから「何とかしないと」ということになりやすいのですが、問題はずっと前から起きています。だからこそ日頃からの予防が大切なのです。