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携帯翻訳端末の進歩とこれからの職業選択

一般社団法人 日本人材紹介事業協会 相談室長 岸 健二

 この1月の下旬、暦の関係で例年よりは少し早い旧正月のベトナムを訪問する機会を得ました。
年配の方は、ベトナムのアメリカとの戦争の報道で「テト攻勢」という言葉をご記憶されている向きもあるかと思います。あれから約50年経過したベトナムの首都ハノイの“テト”(ベトナム語で旧正月のこと。中国では春節(チュンジエ)、韓国ではソルナルと言いますね。)は、戦争の跡は戦争博物館や、目を凝らせば一部の石門の爆弾跡に見られますが、一見したところでは平和と繁栄の姿ばかりであり、戦後昭和世代の筆者としては前回の東京オリムピツクの時の日本の雰囲気を思い出すものでした。
 今回のベトナム訪問の主目的は観光だったのですが、友人の勧めもあり、小型携帯端末の翻訳専用機を購入して持参しました。価格は3万円ちょっと、約5.3cm×9.2cmで厚みは約1.2cm、重さは75gという仕様です。

 語学に弱い筆者は、今までスマートフォンに「VoiceTra」という総務省(NICT:国立研究開発法人情報通信研究機構)による翻訳ソフトをダウンロード(無料)して使用していました。27か国語(方言を含むと30言語/音声入力できる言語17言語、翻訳できる言語27言語、音声出力できる言語14言語)に対応していますし、音声認識能力もまずまずで、海外での食事や買い物の際に使うには十分ではあったのですが、スマホの画面はひとつなので当然なのですが、地図を表示したりしながら同時に使うことができない(と言っていいくらい困難な)のです。また、Wi-fi環境が脆弱なエリアですと通信料が莫大になるのではという心配もありました。

 今回購入した専用機ですと、スマホの画面とは別に使えるので、この問題がカバーできました。こちらは言語の種類も74言語と多く、55言語で音声とテキストに、19言語でテキストのみに翻訳できるというのがうたい文句です。前述の価格には2年分の通信料が含まれているので、Wi-fi環境が無いところでも気にせず利用できます。
 さらにメニューや表示などを撮影して文字認識処理して翻訳する機能も今回付加されたということもあり、また今年はオリムピツクイヤーでもあり多様な国々の人びとが来日することが予想されますし、最近海外で急病になり入院した経験のある友人が、現地の母国語と聴き取りにくい英語しか話さない医師や看護師と意思疎通をはかるのに、素晴らしく便利で本当に助かったというエピソードを聞いて、筆者も購入を決めたという次第です。
読者の方も電器店の店頭デモを見かけたら、是非試してみることをお勧めします。

 ベトナム語については、一度語学学校で学習しようと思ったこともある筆者なのですが、発音も難しく、体験入学一日で断念したことのあるトラウマもあり、今まで訪問した際には、多くの場合、現地で日本語の話せるガイドさんを探して依頼していましたが、今回はスマホの地図と、この翻訳専用小型端末を駆使して、ハノイの街を自由に観光して歩くことができました。旧正月ということもあって閉まっているお店も多かったのですが、四半世紀前に一人でこの街を歩かなければならなくなった時には、方位磁石と紙の地図、ガイドブックとにらめっこして歩いたことを思い出せば、雲泥の差どころではなく、まったくストレスなく市内散歩を楽しむことができました。

 しかし、数年前にハノイを訪れた際には、屈託ない笑顔のガイドさん(日本に語学留学した経験はあるけれどアルバイトばかりでちっとも上手くならなかったと謙遜していましたが、街歩きに支障はない日本語力でした。)と一緒に歩いた景色を思い出すと、彼女の仕事はこれからどうなってしまうのだろうかという思いが胸を過ぎります。

 以前申し上げたこともあるかもしれませんが、筆者が若かった戦後昭和の時代には「和文タイピスト」という職種が活躍していました。
 筆者の就職先には、専門学校の卒業生を専門職として採用配属した「タイプ室」という部署がありましたが、第一次石油ショックの後、ワードプロセッサーが登場して導入され、彼女たち(当時は女性がほとんどの専門職のひとつでした)の、裏返しの活字を見ながら拾って打つ特技は、その専門性の価値がどんどん下がってしまいました。それでもしばらくの間は「ワープロオペレーター」という職種が専門職として扱われたのですが、それもあっという間に個々人のデスクの上にかな漢字変換機能をインストールされたPCが設置されることになり、「事務職全員ワープロオペレーター」時代になって、その専門性需要は消えていきました。もちろん速記者職種などには、その希少な技能は生き続けていると思いますが、専門学校から「和文タイピスト養成コース」が消え、他にも運転免許試験場前にあった代書屋さん兼写真屋さんにも、カメラと並んで必須設備だったのが「和文タイプ」だった記憶のある読者もいらっしゃるでしょうが、今は姿も形も見えない光景が脳裏に浮かびます。

 これらの、あっという間の職種の衰退を目の当たりにした筆者は、どんどん賢くなっていくように見える(クラウドでのAI学習効果なのでしょう)手の中の翻訳専用小型携帯端末機を見ながら、「でもあの屈託ない笑顔の通訳ガイドの仕事の将来性はあるのだろうか?」と自問自答してしまいました。
 約25年で姿を消したワープロ専用機の時代より、ずっと進歩変化の激しい今日、技術進歩による職業の盛衰を予測することは簡単でも、「では、私たちは、どのような能力を身に付け、適性を磨いたらいいのですか?」という少年少女からの問いに、分かりやすく答えることは至難の業といえる時代になってしまったのかもしれません。

(注:この記事は、岸健二個人の責任にて執筆したものであり、人材協を代表した意見でも、公式見解でもありません。)