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労働あ・ら・かると

旧職業安定法で職業紹介事業者に求められた「徳性」

一般社団法人 日本人材紹介事業協会 相談室長 岸 健二

 過日、独立行政法人労働政策研究・研修機構(JILPT)の労働図書館で、昭和45年発行の「労働法コンメンタール-4-」を閲覧し、当時の職業安定法の逐条解釈を読む機会を得ることができました。
 そんな古い法律を読んでみようと思った動機は、昨年来16回にわたり学識経験者が参集して開催された検討会によって、この6月に「雇用仲介事業等の在り方に関する検討会報告書」が作成公表されたことで、いよいよ職業安定法改正の路程が現実のものになってきたことから、1999(平成11)年の大改正前の職業安定法がどのようなものであったのか、復習をしておいたほうが良いような気がしたからです。

 今回の職業安定法改正については、別途もう少し具体案が出てきてから、この「労働あ・ら・かると」にも寄稿しようと思っていますが、改めて50年近く前の職業安定法(以下旧職安法とします。)と現在の職業安定法(以下現職安法とします)を比べてみると、時代の変化と民間職業紹介事業の姿の変化が浮き彫りになります。

 例えば旧職安法では、その第32条(有料職業紹介事業)には、まず「何人も、有料の職業紹介事業を行つてはならない。」と原則禁止が述べられており、続いて「但し、美術、音楽、演芸その他特別の技術を必要とする職業に従事する者の職業をあつ旋することを目的とする職業紹介事業について、労働大臣の許可を得て行う場合はこの限りでない。」と、例外的に職業(職種)別に許可をするILO第96号条約(日本は1956(昭和31)年批准)の主旨に沿った規定となっていました。思い出してみれば、筆者が人材ビジネスの世界に足を踏み入れた頃は、民間有料職業紹介の許可を得るための条件のひとつの職業紹介責任者設置にあたって、「その職種経験、もしくはその職種の紹介業従事経験が10年以上あること」が要件となっていたような記憶があります。後日この規定は、新規参入への障壁となっているのではないかといった批判にさらされたわけですが、当時は特別な技術を必要とする職業については、公共職業安定所より、その専門的な職務内容や業界慣行にに精通している者が行うことがより適切という考え方があったことが垣間見えます。

 この条項に比べ、現職安法ではその第30条(有料職業紹介事業の許可)に「有料の職業紹介事業を行おうとする者は、厚生労働大臣の許可を受けなければならない。」と、許可制度を維持しつつも原則禁止ではない表記とし、更に第31条(許可の基準等)で「厚生労働大臣は、前条第一項の許可の申請が次に掲げる基準に適合していると認めるときは、同項の許可をしなければならない。」と許可基準を満たした申請については許可の義務を課し、許可しないときの理由通知義務も付して、ILO第181号条約(日本は1999(平成11)年批准)の趣旨に沿ったものに変更されています。

 また、前述の旧職安法第32条には、とても興味深い表記があることにも、目が留まりました。
 それは同条第2項なのですが、労働大臣が許可をするにあたって、中央職業安定審議会に諮問しなければならないこと(現職安法第30条第5項では「あらかじめ、労働政策審議会の意見を聴かなければならない。」と規定)と共に、「許可をなすには、予め、許可申請者についてその資産の状況及び徳性を審査する」と定められていたことです。
 資産要件については、現職安法でも金額は変わっても引き継がれているので、筆者の理解するところ「『貧すれば鈍す』者には、適切な職業紹介の遂行が期待できない。」という考え方かと思うのですが、現職安法では消えてしまって見当たらないこの「徳性」という要件は、いったいどのように解釈され運用されていたのかと思い巡らせるわけです。

 「徳性」という言葉の持つ意味は、いくつかの辞書を引いてみると、「道徳ある正しい品性。道徳心。道義心。」といった意味のようです。解して、「社会全体を意識した人間の行為・行動について正邪善悪を知り、正善を志向し邪悪をしりぞけようとする精神。」ということになるかと考えます。
 その考え方は良しと思うのですが、「実際の行政や事業の場面では一体具体的にどのように「徳性」を審査したのだろうか?」という思いは消せません。それもあって(経緯はよく判りませんが)その後の法改正で消えた(消えてしまった)項目のようにも想像します。

 しかし、新規に職業紹介事業を始めようとする方の話を聞く機会があったりすると、もちろん真摯に「社会に役立つビジネスだと思うので」とおっしゃる方がいる一方で、中には少数ですが「人材紹介は、口利きだけで手っ取り早くボロ儲けができそうだから」「IT技術を駆使すれば、一人でも、PCを操作をして求人情報と求職者情報を収集し、マッチングすればお金が転がり込むビジネスだから」と、参入動機を語る方もいらっしゃいます。
 こういった話を聞くと「徳性」を審査要件とした当時の立法担当者や国会審議の発想を、何とか現代にも活かすことはできないことかということが、脳裏をよぎります。

 冒頭の「雇用仲介事業等の在り方に関する検討会」の場では、このような‘徳性’論議が為された様子はありませんが、立法技術として、また行政現場での運用が困難なことは理解しつつも、今後の職業安定法改正論議の中で、この「徳性」を必要とする観点が論じられるならば、職業紹介事業が社会的に有意義である姿形がより鮮明になり、安易無責任な事業者を排することについて前進するのではないかと期待しつつ職安法改正論議を見守りたいと思っています。
                                                    以上

 (注:この記事は、岸健二個人の責任にて執筆したものであり、人材協を代表した意見でも、公式見解でもありません。)