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来年施行10年を迎える公益通報者保護制度と相次ぐ企業不祥事

一般社団法人 日本人材紹介事業協会 相談室長 岸 健二

 来年で公益通報者保護法はその施行から10年経過します。このところ相次ぐ企業不祥事の報道を見聞きするたびに、「この企業内に心ある通報者はいなかったのだろうか。」、また「現在の公益通報者保護制度は充分に機能し得るのだろうか。」という思いが湧きあがってきます。

 従業員代表の監査役が選任される制度のはずのドイツ自動車メーカーが起こした、排ガス規制を逃れるための世界的規模の不正ソフトウェア搭載事件、トップ以下の何年にもわたる不正会計が明るみに出、監査役制度も社外取締役制度も機能していなかったにもかかわらず、辞任した取締役を顧問として再雇用したと伝えられる日本の大手電機メーカー、過去断熱パネルで性能を偽装していたことが発覚していたにもかかわらず、建物向け免震ゴムの製品検査においてもデータ改ざんが行われ、その数ヵ月後輸送車両に使われる防振ゴムについても製品検査成績書に不実記載があったと報じられたゴム製造業、マンション建設工事において杭施工不具合が発覚し、更にコンクリート杭を固定するセメントの量でもデータに転用・改変があったと公表した建材製造施工企業と、ほんの数カ月でも枚挙にいとまがない数の報道がなされています。

 あくまで現段階では推測の域を出ませんが、その原因はトップマネジメントに起因するもの、組織ぐるみのもの、担当者の非違不正行為など様々であろうと思うものの、企業が社会の公器であるという意識が希薄(全く無い?)であり、役員から現場で働く人びとの中のどこかに「自分の仕事の後工程、顧客に嘘をつかない。」という倫理観があって、公益通報者保護法の存在やその内容を知っていれば、もう少し早く、被害規模が甚大にならないうちに対処できていたのでは、と思うのです。
 多くの報道を見聞きするにつれ、良心ある従業員に大きな負担を掛けずにすむようなコンプライアンス実現風土が、その企業には(もしかすると日本中、世界中の企業には)無かったのだろうと思います。
 救いは、多量の情報の陰になって見つかり難いのですが、前述の防振ゴム不祥事のゴム製造業においては、8月に社内でコンプライアンス研修を実施、不正の隠ぺいをなくすよう説明したところ、翌日に問題行為の疑いについて社員からの通報があったという報道をみたことです。

 しかし「心ある通報者はいなかったのだろうか。」と申し上げるものの、公益通報者についての裁判例を見ると、思いのほか通報者に厳しい姿勢が見られます。
 法的には、従業員は企業に対して誠実義務があり、企業の信用や名誉を傷つける行動はこの誠実義務違反となる可能性がある訳です。
 多くの就業規則において「従業員は会社の名誉や信用を傷つける行為をしてはならない」「従業員は職務上知り得た秘密を他に漏らしてはならない」というような服務規律が規定されており、これに反した場合には懲戒処分の理由となっているため、不正を発見した人にとっては、これらの規定が企業の不正行為を企業外に告発することを躊躇する理由のひとつであることは言うまでもないでしょう。
 しかし、企業が法令違反をしていることを黙認することは、一市民として良心に反することもあるでしょうし、何よりその内容によっては企業の存続すら脅かしかねないこともある訳です。

 公益通報者保護法施行前ではありますが、懲戒処分をめぐる裁判例の中で「本件投書のように、従業員が職場外で新聞に自己の見解を発表等することであっても、これによって企業の円滑な運営に支障をきたすおそれのある等企業秩序の維持に関係を有するものであれば、例外的な場合を除き従業員はこれを行わないようにする誠実義務を負う一方、使用者はその違反に対し企業秩序維持の観点から懲戒処分を行うことができる。そしてここにいう例外的な場合とは、当該企業が違法行為等社会的に不相当な行為を秘かに行い、その従業員が内部で努力するも右状態が改善されない場合に右従業員がやむなく監督官庁やマスコミ等に対し内部告発を行い、右状態の是正を行おうとする場合等をいうのであり、このような場合には右企業の利益に反することとなったとしても公益を一企業の利益に優先させる見地から、その内容が真実であるか、あるいはその内容が真実ではないとしても相当な理由に基づくものであれば、右行為は正当行為として就業規則違反としてその責任を問うことは許されないというべきである」(東京地判平成9年5月22日/首都高速道路公団事件)としつつも、内部努力をせずに外部に告発した職員への懲戒処分は有効としています。
 一方で、内部告発により告発対象となった組織の利益となる面があったことが考慮されていると読める、従業員側の勝訴となった大阪いずみ市民生活協同組合事件(大阪地堺支判平成15年6月18日)もあります。
 実際の内部告発の場面では、告発に必要な資料の持ち出しが形式的には窃盗罪や不正競争防止法違反に問われることもあり得て、告発者の躊躇につながる訳ですが、司法判断としては結果の公益性から見て、その犯罪性は大きく減殺されるとした宮崎信用金庫事件(宮崎地判平成12年9月25日/福岡高宮崎支判平成14年7月2日)のように地裁では懲戒解雇を有効、控訴審では不正疑惑の解明は金庫の利益にも合致することからすると手段の違法性は大きく減殺され、処分を無効とした例もあります。

 内部告発をした従業員は、通常合法的に入手できる情報の範囲で、企業に違法・不正な行為があると信じたというのであれば、結果としてそれが「当たらずとも遠からず」であっても保護されるようにならないものでしょうか。通常一従業員では決定的な証拠の収集はなかなかできないことを前提として、その真実性の要件を余り厳しく求めないような考え方が必要だと思います。

 また、現在の公益通報者保護法による通報先としては、(1)その労働者の労務提供先(または,労務提供先があらかじめ定めた者)、(2)当該通報対象事実について処分または勧告権限を有する行政機関(監督官庁)、(3)通報対象事実を通報することがその発生またはこれによる被害の拡大を防止するために必要であると認められる者(通報必要者)、が挙げられており、これら以外の者への通報はこの法律によっては保護されません。
 労働者が保護されるための要件は労働者が上記(1) (2) (3)のどこに通報したかによって異なっています。
 最も要件が厳格なのは,(3)「通報必要者」(報道機関、消費者団体、事業者団体など)への通報についてです。この場合は「通報対象事実が生じ,又はまさに生じようとしていると信ずるに足りる相当の理由」があるだけでなく、(1)(2)への通報をすれば、解雇その他不利益な取扱いを受けると信ずるに足りる相当の理由がある場合や、 (1)への通報をすれば当該通報対象事実に関する証拠の隠滅等が行われるおそれがあると信ずるに足りる相当の理由がある場合、その他の要件が課されます。
 つまり、この法律では、緊急の場合を除くと、原則として労務提供先に通報することが求められており、通報から20日が経過しても調査が行われない場合に初めて外部への通報ができるとされています(第3条第3号ニ)。これは、いささか「内部処理」を過信してはいないでしょうか。告発者が「表沙汰にしない」風土にもみ消されることを予想することは想像に難くありません。
 内部告発(公益通報)を行おうと考える従業員にとって、通報先がどこまで信頼に値する機関であるのかは極めて重要です。つまり従業員にとっては、中立性公平性が保たれていて、自分がクビをかけて(リスクを冒して)行っている通報に対して適切かつ誠実な対処をしてくれる相手であるかどうかが重要です。「企業」というものの中でそれを期待することは、残念ながら極めて困難なことです。
 労働組合の存在にも期待したいところですが、これとて組合によっては「企業内の限界」を越えられない場合もあるでしょうし、また組合の無い企業の数の多さを考えると暗澹たる気持ちになります。冒頭述べた不祥事発生企業のほとんどに労働組合があるのに、その顔が見えません。

 外部通報は、それが悪戯な誹謗中傷や虚偽であった場合、企業が致命的な損害を被る場合もあることを配慮して、この法律が外部通報に対して慎重な姿勢をとろうとしていることは理解できないわけではありませんが、やはりこれだけの企業不祥事が続き、それが結局その企業の信頼性を損ね、そこで良心的に働く従業員にも大きな影響を与える現状を見ると、現在の規定は、いささか「企業内倫理と自浄作用」を過信し過ぎてはいないだろうかとの感は拭えません。

 いずれにせよ今回の不祥事の公表が、従業員個人の懲戒や管理者の監督責任追及のみに終わらず、「早期にコンプライアンス重視の行動がとれなかった『しくみ』」を、企業内としても法運用と言う社会的視点から、多角的に点検し、教訓化と再発防止、企業活動浄化への健全な道程につながるよう願ってやみません。
以上

注:この記事は、岸健二個人の責任にて執筆したものであり、人材協を代表した意見でも、公式見解でもありません。