インフォメーション

労働あ・ら・かると

犯罪容疑者の職業と肩書

一般社団法人 日本人材紹介事業協会 相談室長 岸 健二

親がわが子を虐待して殺してしまったり、高校生が同級生を殺してしまったり、片思いの女性を執拗に追い掛け回したあげく殺してしまったり、新聞の社会面にはおぞましい報道が目に付きます。

そして、これらの事件の容疑者について「死体遺棄の容疑で指名手配していた住所不定、無職、○○」という記事や、「自動車運転過失致死傷罪に問われた元運転手○○」、「殺人容疑で逮捕した○○容疑者は元新聞配達員」「○億円を着服した容疑者である元○○工業社員」「虚偽調書作成事件で証拠隠滅罪に問われた元警部補」といった職業表記がされています。

もちろん「推定無罪」の原則は忘れないでいただきたいものの、日本の裁判制度の所要日数を考えると、有罪無罪の確定前であっても、類似犯罪の再発防止の観点から、容疑段階でもその容疑者がどういう人間であったかを知らしめようとする報道機関の考え方は理解できます。

前述の表記でも、「プロの運転手であるのなら危ない運転をしてはいけないでしょう。」とか、「警察官が犯罪に手を染めてはダメでしょう。」といった、記事を書いた記者の発想が伝わってくるようにも思います。手元の新聞をめくってみても、「会社員」「自営業」「職業不詳」「経営者」「無職」といった付記が、容疑者や被告について書かれているわけです。パソコン遠隔操作事件の被告は「元IT関連会社社員」と書かれていて、このあたりは「犯罪再発防止」よりは、「読者にさもありなんと思ってほしい」書き方ではないかと思って目を通したりしています。もっとも「元暴力団員」という記述になると、「暴力団員は職業か?」と思ってみたりもします。職業分類表には出てこないのですし。

また一方で「自称:小説家」とか「自称:芸術家」という表記も目につきます。うがった見方かも知れませんが、記者の「自分では『小説家』と称しているが、世間様は認めないぞ」という心情が垣間見えているように感じ、「世間様」を代弁しているような言辞に不遜な印象をぬぐえません。

犯罪容疑者についての職業報道は、ひとつには「その職業に就く人は、より一層の高いモラルを持つべき」という情報発信者の方々(記者、編集者、発行者)の主張のように見えますが、読者の理解のしかたによっては「信頼すべき職業の人の中にも信用できない人がいる。」ということになり、さらには短絡的に「その職業の人間は信用できない。」といった思い込みを誘発しかねないという危惧も、一方で感じます。

2008年の6月に秋葉原で起きてしまった無差別殺傷事件の犯人が、当時25歳の元自動車工場派遣社員であったことから、「非正規労働者は将来に希望を持てないから犯罪に走る。」といった偏見が助長されてしまい、更に2年後にマツダ本社工場構内で起きた、自動車で12人の従業員を次々とはね、1人が死亡、11人に重軽傷を負わせるという事件の犯人は「マツダに恨みがあった。秋葉原のような事件をおこしてやろうと思った。」と話したことから、更に「派遣社員には犯罪者が(多数)いる。」との誤解が蔓延し、ワークライフバランスの観点から望んで派遣形態で就労する人々は、なお一層眉を顰め、場合によっては肩身の狭い思いをしたと聞いています。

人が罪を犯すに至ってしまったその境遇は、因果関係は明確でないものの、家庭環境、経済環境、労働環境などが、相互に関連して作り上げられたものとの見方は理解しますが、当然のことながら同じような境遇の人間でも、それをバネとして頑張って真っ当な生き方をする方もいれば、「周りのせいにして」犯罪に走ってしまう人もいるわけで、「悪い環境」=「犯罪」ではないことは自明の理だと思います。

因みに、この事件の被告は裁判において、犯行の動機も原因も雇用形態が派遣であることとは無関係であると供述し、弁護人も検察官も裁判官も、その供述が事実であると認定したと、後日報道されています。同様に報道された記事によれば、彼の職歴の雇用形態は全てが登録型派遣労働社員だったわけではなく、正社員や準社員として直接雇用の職歴もあるとのことです。

もちろん社会学的な観点から、より犯罪発生の少ない「傾向」の社会や環境を研究分析することを否定するつもりはありませんが、「犯罪発生環境の傾向値」を論ずることと、「必ず犯罪に結びつく環境」とは全く異なる次元での話であるという区別は明確にして欲しいと思うわけです。

Webの時代、様々な偏見や匿名の中傷、許されないヘイトスピーチが広まってしまう現実があるわけですが、「ある職業の人は犯罪者が多い」といった差別的な偏見が許されていいわけがありません。併せて、犯人が犯行当時「心神耗弱」「心神喪失」であったかなかったかといった報道もよく眼にしますが、触法精神障害者についての記事の取り扱いも、より慎重に願いたいものです。精神分裂病の診断名を「統合失調症」へ変更させることに大きく貢献した全国精神障害者家族会連合会が、2001年に起きた小学生無差別殺傷事件である附属池田小事件の際に報道機関に要望した下記事項(筆者記憶メモによる)は、再読して今でも充分有効な見解だと思います。

◇この事件で逮捕された男は、精神病院の通院歴があったと報じられていますが、その記述については、私たち身内に精神科治療を受ける者を持つ立場から見て重大な疑義を感じざるをえません。記事の中で報道されている『男は…精神病院に通院中で…』という部分は、その病歴報道表現によって、読者には「精神疾患」が事件の原因であり、動機であると理解されてしまいます。その結果、「精神病者(精神障害者)はみな危険」という画一的なイメージ(=偏見)を助長してしまうと考えるからです。

◇妄想や幻聴などの症状は薬物療法でコントロールしやすいといわれています。なぜこんな事件が起きたのか、服薬はきちんとしていたのかなど、事件の背景をきちんと取材し、今後の教訓となるような報道をしてください。安易な報道によって、「精神障害者は危険だ」という社会の偏見がより強くなりました。これは「報道被害」であるといっても過言ではありません。

◇警察発表であったとしても、事件の背景、病気の状態などが明らかになっていない段階で、特定の病名や通院歴・入院歴を報道するべきではないし、法的責任能力の問題を精神障害に置き換えて報道すべきではない。

この見解の精神病歴の部分を「職業」に置き換えても、きちんと通用する見解のように思います。

差別を引き起こしてしまう要因、差別を起こさない考え方には、もちろん様々な事項があると思いますが、とても大事なことのひとつは「相手の立場に立てるか」ということであり、その「相手」のイメージを広く持てる視野だと思います。

様々な記事、番組を書き、報道する方々、Web上で様々な情報を発信する多くの方々には、その文字、言辞を聞いた人がどのような心情になるのか、自分の話している相手やその家族に犯歴者がいるかもしれない、自分の記事の読者やその縁者に精神障害者の方がいるということを、必ず念頭において、様々に配慮した上で、犯罪再発防止の観点での情報発信を願いたいものです。

(注:この記事は、岸健二個人の責任にて執筆したものであり、人材協を代表した意見でも、公式見解でもありません。)