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「解雇すべきはそんな人を採用した人」なのだろうか?

一般社団法人 日本人材紹介事業協会
相談室長 岸 健二

 このところ「一億総活躍」「働き方改革」といった文字が新聞やWeb上で見られない日はないといってよいほどです。
 筆者自身が長く関わってきた業界は「職業紹介」なので、言わば「雇用の始まり」のところにずっと身を置いてきたわけですが、一方で「雇用の終わり方」にも視野を広げておくべきだという思いをより強くしたのは、JILPT(労働政策研究・研修機構)統括研究員の濱口桂一郎さんが著した書籍「日本の雇用終了」と4年程前に出会ってからです。
この書籍はその後「日本の雇用紛争」として、主席統括研究員となった同氏によって労働審判と裁判上の和解についても加えられて全面改訂の上、上梓されていますが、労働組合の組織率の低下を反映して(と、筆者は考えています)増加している個別労使紛争に、どう対処すべきかを考えるにあたっての必読書となっているように思います。

 そんなこともあって、昨年秋から厚生労働省労働基準局によって開催されている「透明かつ公正な労働紛争解決システム等の在り方に関する検討会」については、スケジュールの許す限り傍聴するようにしているのですが、過日第9回目のこの検討会を傍聴するために厚生労働省に入ろうとした時、思わず足が止まってしまう表題の台詞「解雇すべきはそんな人を採用した人ではないでしょうか。」という声が聞こえてきました。この検討会に対する集会が厚生労働省前で開かれ、どなたかが雇用の金銭解決導入反対の立場から演説をしていたのかもしれません。でも本当にそうなのでしょうか?

 筆者は、この検討会の最初の頃、委員の方から「少子高齢化が進む今後の社会環境の下では、適切な雇用調整ルールの策定が、労働者保護のためにも必要とされている。」「解雇の金銭解雇の基準を法律で定めることは、民事訴訟における長い平均審理期間に対応する余裕のない労働者を救済する有効な手段となる。」従って「労働法制度の不備を改善するために、解雇の金銭補償ルールの法制化を速やかに進めるべきである。」という発言を聴いたとき、逆に「金を払えば解雇が可能になる」という理不尽を助長するのではないか、との疑念を抱き、傍聴を続ける気持ちが強くなったわけです。
前述の日本の雇用紛争についての資料をはじめ、関連する記事なども読むにつれ、その千差万別さ多様さに一律に解雇の金銭解雇の基準を定めることは、理念として理解したとしても、果たして具体化することがほんとうに可能なのだろうか、と今でも思っていますが、一方で「解雇すべきはそんな人を採用した人」と論ずる危うさに背筋が寒くなるのです。
「解雇」という概念は労働者や人材についてのことですので、経営者に向かって発せられたのではないとすると、採用担当者や採用責任者に対して「あなたたちこそ解雇されるべき」と発言したように聞こえます。

 そもそも「新卒一括採用」を主な人材確保の手段としている企業が多い中、実務経験も何もない学生を選考するにあたって、面接官・選考担当者は「メンバーシップ」として適応できる素材であるかどうかを最優先の判断基準としている(せざるを得ない)のではないでしょうか。
採用後その人材がその素質を磨き、実務を担当できるかどうかは、採用後のOff‐JT、On-JTやその能力を発揮できる職場環境に拠ると断言してはいけないでしょうか。
筆者が30年位前に企業内の労務担当だった頃、不祥事非違行為による懲戒を実施しなければならなくなった局面で、「誰だこんなやつを採用したのは!」との発言に対して開いた口がふさがらなかったことがあります。担当職務柄、懲戒事案については当然ながら対象者の入社以来の一件書類に目を通した上で事実関係を社内調査し、就業規則に則って懲戒委員会の開催を進めていたわけで、その発言をした方は、対象者入社のときの人事部長だったからです。採用決裁書類にはちゃんと押印までしていたことをすっかり忘れての発言に、苦笑せざるを得ませんでした。

 当時の想いとしては、「懲戒事案を起こすまでに至ってしまった対象者の周りは、その兆候に気づかなかったのだろうか。早めに労務担当としてその情報をキャッチしていれば、会社にとっても本人にとっても不幸な事態は防げたのではないか。」という気持ちが強く記憶に残っており、つくづく家族的な組織運営を求めた時代であり、自分だったと振り返ります。
ましてや昨今の本人の責でない希望退職や整理解雇の局面で、「対象労働者が悪いのではない」ことは百も承知なのですが、だからと言って「そんな人材を採用した人こそ解雇すべき」とは口が裂けても言ってはいけないことです。
そのようなとても残念な局面で、反省すべきなのは、「なぜもっと早く対処策が打てなかったのか」という経営・組織のマネジメントの状態であり、働く人びとの声をきちんと吸い上げるべき労働組合であり、警鐘に早く気づく仕組みの欠陥を洗い出して今後の組織運営の教訓とすることです。「責任者探し」「責任者処罰」も必要な場合があることは否定しませんが、往々にしてそれは「トカゲの尻尾切り」に終わっている歴史も忘れてはいけません。

 「透明かつ公正な労働紛争解決システム等の在り方に関する検討会」の傍聴を進めつつ、頭書の書籍を読むと、雇用終了の場面には余りに様々な側面があるので「解雇の金銭解決の指標の設定」には、相当に無理があると思えてきており、むしろ早期な解決のためには現状の労働局等のあっせん制度において雇用主側の出席を義務付けること等をはじめとした改善を検討することや、労使双方から概ね評価の高い労働審判制度の更なる普及をはかることが優先ではないかとの思いが強くなってきています。
また「労働紛争の解決」は、仮に金銭で終了したとしても、その人材にとっては「次の職場探し」が重要であることは言うまでもありません。「社会のしくみ」として円滑・迅速な次の職場との出会いを実現する機能をどう設置・推進するのかも忘れてはならないと思います。
もちろん「解雇指南をする職業紹介」は論外ですが、今こそ官民協調しての再就職支援の重要性が増しているのだと思います。

(注:この記事は、岸健二個人の責任にて執筆したものであり、人材協を代表した意見でも、公式見解でもありません。)