労働あ・ら・かると

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今月のテーマ(2011年8月)

年休考第2弾 年休は、権利か 恩恵か

 8月。夏本番である。一時、30度を下回っていた最高気温も、ここに来て真夏日が戻り、場所によっては、豪雨災害が起きるなど、再び、日本列島は、真夏の太陽と水害の中に喘いでいる。

 この時期は、旧盆を挟んで夏休みシーズンに入る。年末・年始と並んで、民族大移動の時期である。多くのお父さん、お母さんたちは、久し振りに何日かの年休(年次有給休暇)を取得して、家族旅行、故郷への里帰りに余念がない。日本的発想では、この年2回の大型連休(?)を、せいぜい3〜5日のお茶を濁す程度の連休で一斉に楽しむ。年休の取得で、心身の休養ができれば申し分ないのだが、どうも、休みを取って、休養どころか、かえって疲れが出た、金銭的にも思わぬ出費で家計に疲れが出るのが、現実の姿ではなろうか。

 ところで、わが国の場合、労働者が年休を取得しようとすると、まず、使用者に“年休取得のお願い”をして、年休をいただくとなる。あるいは、会社や同僚に迷惑をかけたくないので、できれば短めの年休取得で遠慮気味にお願いする感じが強い。とかく年休は、使用者から恩恵的に授かるといった発想が潜んでいるようだ。ここに日本的年休取得に対する常識がある。だが、世界・国際社会の年休取得の常識は違う。

 1948年に制定された世界人権宣言の第24条には「すべての人は、労働時間の合理的な制限と定期的な有給休暇を含む休息及び余暇をもつ権利を有する」と規定されている。すなわち、年休を人間の基本的な権利の一つに掲げているわけだ。

 イタリアの憲法には、年休を労働者の権利と規定するだけでなく、但し書きで、「この権利は、放棄することができない」と記載されている―と、ある講義で聴いたことがある。フランスでは、労働者がゼネストに訴えて勝ち取った長期休暇の権利を行使しない(取得しない)ことなど考えられないという。

 8月。長期休暇を使って、フランス人・パリっ子は、市内から姿を消すとも聞く。でも、街には観光客がいっぱいだ。その多くは、外国人と食事などで観光客をもてなす出稼ぎ労働者ということになる。

 ドイツでは、連邦休暇法に基づいて、6か月以上の継続勤務をしている労働者には、年間で少なくとも24日間の有給休暇を取得する権利が保障されている。2011年の労働協約で合意した有給休暇の付与日数は、大半がこの法定基準を大幅に上回る30日である。しかも完全取得である。

 ILOの有給休暇条約(第132号)には、「労働者は、1年勤務(同一職場に1年勤続ではない)につき、3労働週(5日勤務で15日、6日勤務で18日)の年次有給休暇の権利をもつ」と規定されている。

 人権宣言もILOも、主要国のいずれも、年休は「権利」と規定していることが理解できる。国際的にみて、年次有給休暇は、「権利」なのか、「恩恵」なのかの議論は、論外だということになる。どうやら国際社会の常識は、年休は「権利」で、統一されていると理解するのが常識といえる。

 しかも、日本的発想では、付与された年休は、すべてを取得するのではなく、取り残す風習が強い。厚生労働省の就労条件総合調査を数年分遡って調べても、年休の取得率は、46〜48%台にあって、半分以上を残している。それは何故なのか。

 理由は、これまでにも言われ続けてきたことだが、そのベスト3は、@病気や急な用事のために残しておく必要がある、A年休をとって休むと職場の同僚らに迷惑をかけるから、B仕事量が多すぎて休んでいる余裕がないからだ。

 これらに続いて、C休みの間、仕事を引き継いでくれる人がいないから、D職場の周囲の人が取得しないので年休が取りにくい、E上司がいい顔をしないから、F勤務評価などへの影響が心配だから―など。(いずれも(独)労働政策研究・研修機構調べ)

 年休の付与日数をみても、世界は、勤務1年で15日から18日。国によっては、30日が当たり前のところもある。日本の場合、労基法第39条に年休の規定があり、「6箇月間継続勤務し全労働日の8割以上出勤した労働者に対して、継続し、又は分割した10労働日の有給休暇を与えなければならない」とされている。まず、年休の日数で大きな違いがある。同時に年休取得のあり様にも、日本の常識、世界の常識の違いがある。

 それは、年休取得の考え方の違いである。先進国やILOの考え方は、「年休は、原則として継続したものでなければならない」とし、夏の季節、30日のバカンスを楽しむフランス人らに特徴的にみることができる。これなら、ゆっくり休養もできようというものだ。充電もでき、仕事への意欲も高まろうというもの。でも、日本では、周りの目が気になって、1か月も休暇を取ろうものなら、いざ職場に出勤したとき、机(ポスト)がそのままあるのか、よくもこの忙しいとき、休めたものだと冷たい目線ばかりが降り注ぐことになる。

 年休の分割取得を原則認めない先進国。労使の当事者同士が合意して半日とかの分割年休を取得しても、上級審でこれを認めないという判決が出たという。分割での年休取得は、否定されたわけだ。しかも、病欠や祝祭日の休みは、年休の中に含まれない。日本では、時として年休取得率を高めようとして、祝日を年休に当てるようにと、会社から指示されたとの話も聞く。年休の意味がまだ日本では徹底していないようだ。

 年休は継続した取得が常識の先進国。いや、日本では、分割が常識で、土日を加えてせいぜい5日(年休は3日取得)程度、あるいは、もう一度年休1日に土日を加え3日の計8日の休みが大半ではなかろうか。今夏の場合、節電モードで、土日から次の土日までの9日の連休もみられる。この程度の休みで、日本では大型連休と呼ばれる。年休一つにしても、国際的に遅れをとっている。如何にして世界の常識に近づけるのか、知恵の出し較べを期待したいものだ。

 昨今では、労基法の改正で、半日休暇が導入され、計画年休の採用など、年休取得を促そうとの動きが目立つ。まずは、年休の計画付与を労使で具体的にすすめてほしい。同時に、年休取得の目標数値などを社内に掲示し、競って年休の取得をすすめ、その結果、いい仕事、効率アップにつなげるとの姿勢を職場に徹底したいものである。年休は“恩恵”ではないのだ。

【飯田康夫 労働ジャーナリスト 日本労働ペンクラブ前代表】