労働あ・ら・かると

 当コーナーでは、専門家による労働政策、労働経済情勢等に関するレポートを、随時紹介させていただいております。専門家の方々の明快な主張、独自の切り口による鋭い論評等が満載のレポートとなっています。ぜひ、ご覧になって下さい。

今月のテーマ(2009年7月)

「職場のうつ」の根本原因は「長時間労働」ではない(Part1)

 職場でのうつ(病)が問題になり始めてから久しいが、今回は、それを単純に「長時間労働のストレス」と考えてはならないことについて論じてみたい。まずは、あるブログに掲載された「うつの声」に耳を傾けてみよう。

 徐々に今回の鬱の根本が見えてきだした。
 問題は業務量の多さではなく、
 「責任の重さ」だった。
 本来、私が負うべき責でない部分まで足を踏み入れていた。
 本来、私が判断できない部分にまで、頼られていた。
 私ができる業務は情報収集と、具体的な作業のみなのだけれど、
 「どうしたらいい?」と判断を求められて、
 「(期待に)応えなければ!」と無理をしてしまった。
 「判断できる立場にありません」と答えれば良い。と言われても、
 なかなか、それが言えない。
 言うことへの罪悪感も感じることもあるけれど、
 根本的に、「すぐにわからない」ことが問題なんだと思う。
 この問題は自分で判断できるか否か?それを、投げられた瞬間にはわからない。
 YESもNOも言えない。
 「私の判断の範囲じゃありません」と即座に思えない。
 何か言われたら、「まず受取る」が基本設定になっていて、
 つい受取ってしまい、
 やり始めてから、「あれ?これ・・私じゃ無理なんじゃない??」って思い至ってくる。
 この「時差」のせいで、なかなか「NO」と言うことができない。

 http://bpds-journey.jugem.jp/?eid=592 より

 問題は、「業務量の多さ」ではなくて「責任の重さ」であることに十分注意してもらいたい。仕事が多いだけであれば、労働時間を延長することによって解決はする。しかし、それがほんとうに負担になるのは、そこに「責任」のプレッシャーがかかるからだ。長時間労働のほんとうのストレスは、そこに「責任の重さ」が加重されたときに深刻化する。

 しかも、そもそも日本の働き方では、その責任は(文書によって)明確化されてはいない。「私が負うべき責ではない部分」にまで、いともたやすく作業が拡大する。「どこまでが自分の職務範囲なのか」は周囲の状況によって、融通無碍に変化する。とくに、オフィスの事務作業などではそうである。

 その状況において、このブロガーのように「期待に応えなければ」という仕事意識が強いほど、無理をしてしまう。この上司や周囲の「期待感」は、きわめてくせものである。仕事ができれば期待される。期待されるからよけいに仕事にのめりこむ。そして、過剰な責任から逃げ出せなくなる。

 そこには一応、「私の判断の範囲」ではないという仕事上の防御壁が用意されているようにも見える。前回も書いたように、伝統的欧米型の「それは私の仕事ではない」という自分自身を守る手段が、日本でも建前の上では存在するのかもしれない。しかし、仕事の「範囲」が即座には「わからない」のだ。

 とくに職場のうつを誘発する論理は、「まず受取る」という従業員の姿勢である。そうではない「まず拒絶する」という仕事態度は、なかなか日本では通用しないだろう。それでも、「それはあなたの仕事でしょう」と「振り返す」強い態度の従業員も見かけるようになってきた。しかも、何らかの論理的・手続き的根拠に基づいてそう主張できる人がいる。

 うつ病に近いところにいる人たちの特徴は、「NOと言うことができない」ことにある。そう言うことに「罪悪感」を感じる人も多い。

 よく上司は、「できないことはできないと言え」と指導するけれども、「できない」かどうかはやってみないとわからないし、かなり無理をすれば「できる」のかもしれない。その判断はそうそう即座にはできないのである。だから、とりあえず引き受けて無理を重ねることになる。

 仕事上の「責任」というのは、日本ではひじょうにわかりにくい概念である。「職務主義」のように客観化された仕事の責任範囲というものが成立しない。当事者が「責任を感じる範囲」が責任領域なのである。つまりは、責任よりも「責任感」のほうが大切なのだ。

 「まず受取る」→「自分の仕事範囲かどうかわからない」→「NOと言えない」→「無理をしてこなす」→「できると期待される」→「責任の重さから逃げ出せない」

 こうして、無理をしてでも仕事をこなして成果をあげる人ほど、ますます過重労働になってくる。だから、職場のうつ病の対策として「長時間労働の規制」を掲げるのは、一見理にかなっているようだが、その実はかなり空虚な主張だ。問題は時間的な労働量ではない。それは結果であって、大切なのは「責任感のプレッシャー」のプロセスだ。

 次回は、このあたりの事情についてさらに踏み込んで論じてみたい。

【大野正和 大阪経済法科大学講師、職場研修指導員】
ひきこもりと過労死の日本的経営論:http://www.geocities.jp/japankaroshi/