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今月のテーマ(2009年6月)
自分の持ち場で黙々と働くのが「職務主義」なのだろうか?
5月21日に逮捕された中央大学理工学部教授の刺殺事件の容疑者についてつぎのような報道がなされている。
2004年3月に中央大理工学部を卒業後、職を転々とし、07年からは、午前中に自宅近くのホームセンターで勤め、午後はパン工場でパート従業員として働いていた。ホームセンターの店長は「言われたことをまじめにやっていた」と語った。パン工場でも、黙々とまじめに働くという評判だった。
さらに、朝日新聞の記事(asahi.com 2009年5月25、29日)によれば、そのパン工場での様子についてこう述べられている。
仕事の内容は、窯から出たパンを取り上げて鉄板を元に戻す作業。口数が少なく、仕事が終わっても同僚たちと食事に行ったりせずに、1人ですぐに帰っていったという。
仲間の仕事が立て込んでいても手助けせず、上司に注意されたことがあった。「自分の持ち場はしっかりやっています」と結局手伝おうとしなかったという。
上司が正社員になることを勧めたが、「新しいことにチャレンジしたい。パソコン関連の仕事を探す」とパン工場は08年に退社した。「自分のやりたいことがまだ分からない。色々なことを経験したい」とも話していたという。
最近の若者や新入社員の仕事ぶりとして語られるのが、この「自分の持ち場」や「言われたこと」はまじめに「しっかり」やるが、職場が忙しくなって「立て込んで」きたときでも「仲間の仕事」を「手伝おうと」しない黙々とした≪一人主義≫である。
この働き方は、旧来の欧米型の「職務主義」ではそれほどめずらしいものではない。自分に与えられた仕事の持ち場を「職務」=jobとして固守し、それ以外は「自分の仕事ではない」(It's not my job)と自己防衛するのが、彼らの伝統的な職務規範だった。
現代日本の企業では、成果主義導入以後の雇用の多様化や非正規雇用の増大のなかで、「仕事基準」や「職務主義」を掲げる「職務給」の制度化を図ろうとする動きがみられる。もちろん成果主義自体が職務給を前提としていたともいえるが、経営側だけではなく労働側にもこの職務給と職務主義を肯定的にとらえる意見が強まっている。
つまり労働側は、ノルマ強化や上司の恣意的な査定といった成果主義の負の側面ではなく、「同一価値労働同一賃金」という面を職務給に求めている。たとえば、正社員でも非正規労働者でも、同じ内容と強度の仕事を同じ時間行っているのであれば、同額の賃金を支払うべきだという主張だ。
たしかに、賃金制度としてはこれによって合理性がえられるようにも見える。しかし、問題は「職務給」の背後にある思想としての「職務主義」なのである。このことは、意外と深刻に議論されていないのではないか。
職務主義を、旧来の伝統的欧米型を範として忠実に理解すると、いわゆる「職務記述書」(Job Description)というかたちで、各人の仕事分担の範囲と責任を厳密に定義する「職務分析」から出発しなくてはならない。つまり、「自分の仕事として何をすべきか、何をしなくてもよいか」をマニュアル化するのである。
このやり方を徹底してゆけば、上の記事にある「仲間の仕事が立て込んでいても手助けせず、上司に注意された」などということは、原理的にありえないことになる。欧米型の職務主義では、「仲間の仕事」まで手伝う義務は生じないのであるから。
さらにいうと、従来の「アフターファイブ」のつきあいも、従業員どうしが場合によっては上司もまじえながらインフォーマルに職場の情報を交換し合う「仕事の延長」という側面があった。しかし、「仕事が終わっても同僚たちと食事に行ったりせずに、1人ですぐに帰っていった」というような行動も、職務主義からすればきわめて合理的な態度といえる。とにかく、与えられた自分の持ち場をまっとうすることが求められているのだから。
日本人にとって、はたしてこれが理想的で合理的な仕事のあり方だろうか。
「自分のやりたいことがまだ分からない。色々なことを経験したい」という容疑者だけではない若者たちの多くが発する声も、ひょっとすると彼らの無意識的な職務主義的態度の結果ではないのか。「やりたいこと」や「色々なこと」は、ひとつの職場のなかで「仲間の仕事」に関心をもったり、「同僚たちと」まじわることのなかから自然と浮かび上がってくるのが、これまでの日本の働き方の特徴だったように思う。
職を転々とできる「労働市場の流動化」が若者にも労働者にも利益をもたらすという議論もあるが、「新しいことにチャレンジしたい」という彼らの願望が、意外にも足元の職場によって満たされる可能性を見失ってはいないだろうか。
そうはいっても、わたしは単純な日本的経営への伝統回帰論に与するものではない。「日本的経営」と「職務主義」のはざまで徹底的に悩み抜かないと、これからの企業や職場は展望できないのである。
【大野正和 大阪経済法科大学講師、職場研修指導員】
ひきこもりと過労死の日本的経営論:http://www.geocities.jp/japankaroshi/
